バトル・オブ・エイリアン
あらすじ
「エイリアン(直球)」
「女子大に隕石が墜落したからその破片をアクセにして学生に売ろう!」という微笑ましい防疫計画から物語は始まる。主人公のオッサンは女子大教授という設定であるが、彼には何の魅力も無く、当然の如く彼の学識は何一つ発揮されないまま本作は幕を閉じるので安心して視聴して大丈夫である。
アクセを売りさばいていた用務員が殺されたり、教授が女子生徒とファックしたり、校長が「ファックはダメ!」と注意しに来たりするバラエティ豊かなアクションシーンが放映される中、エイリアンが散発的に実戦投入される。エイリアンにはおまけに美女(設定上の表現)が付いてくる。彼女は教授たちにステイアウェイみたいな言葉を投げかけつつ私はエイリアンの卵を守護させられているのよぉんと嘆く。もちろん本作において卵は何の活躍もせずその意味も見出されていない。
本作唯一の常識人である校長(No Fuck)が無駄に死ぬと教授と女学生が銃を持ってエイリアンに殴り込みをかける。「隕石を弾丸にするんだ!」と叫びリロードツールと化した教授の専門分野は果たしてなんだったのだろうかと思いをはせていると特に何の感慨も無くエイリアンはショットガンの連射で死ぬ。
隕石アクセの影響でゾンビ化した女学生が教授の無慈悲な銃撃でハウスオブザデッドになったり、ラストでUFOらしき光が複数明滅、それを見た警官が「これヤバくね?」と言うだけの無駄に不安を煽ろうとして失敗している実例があったりと、ツッコミどころが豊富な作品ではあったがだからどうしたと言われれば私は何も言わずうつむいて手の甲を掻いて時間が過ぎるのをただ待つだろう。
本作の唯一の美徳は愛。その愛はエイリアンの造形にのみ「これでもか!」とぶつけられている。私は表現力も美的感覚も無いためうまく伝わるか全く不明瞭だが、そのエイリアンの有り様は、『ジュラシック・パーク』(初代。ワールドではない。)のヴェロキラプトルをベースに完全二足歩行化し、その表皮をしわくちゃのジジイのように段々畑にしてからトロトロした粘液をぶっかけた様な感じである。予算的にアラはあるであろう細部については舞台を下水道に設定し、照明を調整することで補っていると推察される。「そんなの逃げの手ジャン(笑)」とコケにする人間もいるかもしれないが、私は、自らの戦力の弱小さを認めたうえで採りうる全ての戦術的選択肢をもって対抗してくる戦闘集団を侮る気は全くない。むしろ侮ったら負けだと思う。
おそらく本作は未完成なるエイリアンの造形と、それを補強するためのロケーションに資源のほとんどを割いたのではないだろうか。ゆえに脚本や役者方面は相対的に軽視せざるを得ず、よって主人公が学生に珍棒を突っ込むロリコンオヤジとなりそいつを軸に据えたストーリーの伏線は過半数が未回収という事態を招いている。「だからどうした?」本作の稚拙なパッケージの題字を見ているとそう言っているように聞こえる。「エイリアンの映画なんだからエイリアンがしっかりしてりゃそれでいいんだよヒューマンのことなんぞ知ったことか!」早口でそうまくしたてるエイリアンオタクのデブの声が私の鼓膜をペネトレイトした気がした。
総合評価・星3つ(500円の価値有)
★★★☆☆
以上