ハッキング・アイ
あらすじ
「映画の原点?」
大統領選挙で右派の候補者を勝たせるために、悪の闇組織である公安が空港で自作自演テロを起こし、対外排斥の機運を醸成しようと目論んだ。しかし、パソコンの大先生にしてスーパーハカーのひきこもりニートがデスクトップPCをカチャカチャして国中の防犯カメラをハッキング。そこから得た情報を取引材料にして公安に電話をかけ「見てるぞ」とつぶやいたりつぶやかなかったりしながら展開される本作80分間は単調と言えば単調である。
しかし私は本作を評価したい。その理由にして唯一の美点は一貫性である。本作は何を貫いたのか。それは映画が世に登場した原始の形態、すなわち窃視である。
1895年のシネマトグラフの登場により、人々はその覗き穴という安全圏から運動絵画を楽しむことを覚えた。本作はその原点に立ち帰ろうと模索したのではないかと考える。本作において主観を形成する防犯カメラこそはまさに現代的な窃視の入り口たる覗き穴である。そこから眺めるのは人命を蕩尽するテロ事件。その眺める対象の危険性ないしは不道徳性が視聴者の立たされた安全圏という特権を強調している。時折映るスーパーハカーの姿は目元のクロースアップ、すなわち「視」である。
ここまで褒めたはいいものの、逆に言えば本作はただそれだけの作品であるとも言える。私の様な半可通の馬鹿豚ポップコーンの口から「ほえ~」というアホな間延びを吐き出させることぐらいはできるだろうが、本作が審美眼を持つ知識層に訴求できるだけの厚みを有しているとは到底思えない。
ラストでそれまで目元しか映っていなかったスーパーハカーの全身が映されてソファでサラダ食ってる点だけが気に食わなかったことも付け加えておきたい。
しかしながら作品の構成要素を「それだけ」に絞り込み、他の不要な要素をそぎ落としたという決断と努力というものは評価されてもいいのではないだろうか。本作には少なくとも「芯」がある。適当な中年太りのオッサンにモデルガンを握らせて90分間適当に着ぐるみのモンスターを撃つ作品だらけのこの業界においては、頭一つ抜きんでていると評価することにためらいは無い。
以下は作品の評価には関わらない点であるが、パッケージに書かれた「次世代型ポリティカル・サイバー・サスペンス」というコピーは配給会社の6流社員が書いた産廃コピーである。この業界のパッケージに言えることであるが、頼むから、コピーは作品を見てから書いてくれと切に願って筆を置く。
総合評価・星4つ(ステキやん?)
★★★★☆
以上