ワンコイン・ムービ-レビュー

ワゴンセール等で500円程度で投げ売りされている映画を愛するブログ

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あらすじ

「ありがとうお母さん」

 

 パッケージ裏面には威勢の良いコピーが躍っている。「アニマル・パニックの原点にして頂点!!ヒッチコックの名作が最新VFXで現代に蘇る!!」。著名な監督が作った同名の作品との比較を視聴者に強いる悪辣な名コピーではないか。他作品と比較して何が得られるのだろう。比較なんて必要ない。そうさ僕らは世界に1つだけのバカ。もともと特別なオンリーワンなのである。まあ、比較論への堕天については心配しなくても大丈夫である。こんなブログをわざわざ読みに来てくれている奇特な貴方がご存じの通り、私は知的貧困層に属する愚か者である。従って私はヒッチコックを1つも観ておらず、比較もクソも仕様がないのである。

 

 もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだぜという夫婦が郊外に引っ越してくると、そこに生体実験により強化されたカラスが特攻をかけてくるという本作については大して語ることは無い。やたらとスローモーションが多用されていてアホみてえに間延びしてるなあという感じを含めても、本作は張三李四の、取り立てて優れた点も無いが致命的な失点も無い退屈な作品である。

 

 傾注に値するのはヒロインの妊婦である。彼女はカラス来襲に対して「こんな環境じゃ安心して赤子を産めねえ」とブチ切れてカラスを何とかする。妨害に動こうとする市当局の人間に対しては「妊婦に気安く触れるんじゃねェ」と啖呵を切る。これが周囲の無関心と対比されることで、妊婦が直面せざるを得ない闘いの孤独さを寓話的に描いているのかという仮説を立てることができる。

 

 しかし疑問が残るシーンがある。それは公園でベビーカーに乗った赤ちゃんがカラスに狙われているところを居合わせたヒロインの妊婦が助けるシーンである。ここで本来赤ちゃんを助けるべき母親はママ友と呑気にダベっていたのである。なんたる矛盾ではあるまいか?母親の強さ・闘いを主張したいならこのシーンは不要にもほどがある。ではなぜこの様なシーンが挿入されたのか?

 

 考えすぎかもしれないが、それは母親というものを産前と産後で分断しているかのような解釈を可能にする。本作が強調したいのは「妊婦の闘い」であって「母親の闘い」ではないのではないか。だが私には理解できない。妊婦は子どものために闘うが、産後の母親は子どものために闘わないという描写・思想を一体どのようにして受け入れればよいのかわからない。

 

 アニマル・パニック作品として偏差値45を確保しつつ、子育てに日々向き合っている善良な母親に中指を立てる表現力を遺憾なく発揮した本作製作陣の連中は、もう一度ママのお腹の中から人生をやり直したほうがいいのではないかと提案する。

 

 

総合評価・星1つ(神が憐れむレベル)

★☆☆☆☆

 

以上