あらすじ
「アンドロイドvs人間の最終決戦が始まる!(始まらない)」
落涙の様に響くピアノから始まる、盛り上げていく系のmusiqueだけは良かった。もちろん盛り上がるのは曲だけで作品が盛り上がることは無いのはこの業界のいいところである。
荒廃した未来世界。そこでは新たな労働力としてアンドロイドが量産運用されていた。主人公のヒゲボウズはアンドロイドに取って代わられてめでたく失職する。彼は「人間様はアンドロイドとは違うんや」と逆ギレ、酒をかっくらいアンドロイドを破壊してブタ箱送りとなる。
ブタ箱への道中、バグったドローンが護送車を襲撃、ヒゲボウズは護送のアンドロイドと共に砂漠に取り残される。そして始まる1人と1台の逃避行。結果として、ヒゲボウズはアンドロイドとダチになる。
本作が映画史に冠たる鉄槌として称賛される所以として、人間とアンドロイドの間に架かる橋、その建材がスッカスカもいいところのゲロシャブな手抜き工事である点を挙げなくてはならないだろう。人間とアンドロイドの差異を乗り越える、または両者の本質的な同一性を探求するといった思考実験を本作から見出すことは砂場にこぼしたきな粉を抽出することより難しい。本作が提供するのは「一緒にウォーキングしてたらなんとなく仲良くなりました」という理知的なものである。このザマを見て「幼稚園児の集団下校じゃねえんだぞ」と唾を吐いた私を誰が責められるだろうか。
作中冒頭で、ヒゲボウズは「嫁の話はしないでくれ」と友に呟く。暗い陰を感じたのも束の間、その後登場した嫁はヒゲボウズとナチュラルにラブラブチュッチュ愛は地球を救う系の茶番を展開。やはり本作から論理というものを見つけ出すのは望むべきではなかったのだ。
悪役のデコテカリオヤジもミラクルである。彼は主役級アンドロイドの成長を看破し、「君は危険だ」とその進化の可能性を「警戒」する。そう、なんとなく感づいた方もいるかと思うが、警戒はするが実効性のある行動を取らない点はこの業界のvie quotidienneである。危機を認識しつつも放置プレイを決め込むデコテカリオヤジ。2006年に製作された本作が、我らが祖国が誇るガースーを予見・表現していたと考えるのは牽強付会だろうか。
偶然だろうとこじつけだろうと、本作は、ガースー同様の娑婆塞げである。
総合評価・星1つ(神が憐れむレベル)
★☆☆☆☆
以上