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ラストデイズ・オブ・サードエンパイア

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あらすじ

ゲシュタポ「拷問するぞ」、民「ヒェッ喋るで」←この間紫電一閃」

 

 時は1944年。「ナチは嫌いだぜ」という連中が集まったグループで、主人公は壁に落書きをしてはしゃいでいた。そんな時、彼らは負傷した武闘派戦士を保護する。その日から運動は過激化した。「銃火器の装備率が飛躍的にアップ」「ナチを撃ち殺そうぜ」「共産党と組んでビラを撒くぜ」「想いを寄せていた女を寝取られたぜ」という爆笑シーンがお茶の間を温める。ラストは主人公以外がゲシュタポにブチ殺されるハッピーエンドである。

 

 反ナチの兄とヒトラーユーゲントの弟。対立する彼らは和解する。どうやって?それは手紙で戦死した親父の本音を知ったからだ。親父の手紙を読み上げる、長々と。視聴者をセリフの暴力が襲う。そういうのは小説でやっていただきたい。

 

 路肩で倒れている負傷した武闘派戦士を助けるか否か。この分水嶺は序盤と終盤において反復される。結果論として、「救う」と「見捨てる」という差異が存在していることは確かだが、問題はそこに至る意思決定に係る主人公のスタンスである。それは「巻き込まれたくない」「面倒はごめん」「見なかったことにしよう」という3点バーストである。微動だにしないこの坤軸からは、物語を通した彼の魂の動き・ドラマを見出すことは不可能である。よってこの反復には価値がない。強調すべき精神が存在しないのだから。

 

 ところで本作を「レジスタンス活動、特に戦闘って純軍事的に無意味だよね映画」として価値を見出すことは可能だろうか。冷静に考えればプラナリアでもわかることだと思うが、数人のオッサンやガキが手にした小火器で大局が動くと考えることが偏差値換算でマイナスを突破することは自明にもほどがある。得られるものは「俺たち逆らってるぜ!」という自己満足のみ。下手をすれば住民に犠牲が出る始末。

 

 もし貴方が「いやそれでもどうしてもワシはレジスタンス活動がしたいんじゃ!」とおっしゃるのならばせめて正規軍と連携してほしい。もちろん戦闘などもってのほか。敵の情報収集と通信妨害程度にとどめておいてほしい。

 

 レジスタンスに従事した英霊をバカにする気か!とか戦う勇気のない臆病者!と言われそうな気もするが、そのような考えこそ死者をコケにする脆弱者のたわごとである。生きてこそ、生きてこそである。つまらない生き方と言われようが、張三李四のサラリーマンとしてまっとうに働き祖国の経済を回すことのほうが、鹵獲したライフルを振り回すことより遥かに価値がある。

 

 必要なことは基本的人権と国家主権を尊重することであり、それを守護する最悪の手段としての国軍の能力について常に関心を寄せることである。要するに戦争にならないように不断の努力が必須であるということだ。

 

 そこらのネット右翼をランダム抽出して、89式で300m先の的を撃たせたら、果たして命中率は何%だろうか。彼らのたたき出すであろう驚異的な数値こそがレジスタンスの有用性を肯定してくれるだろう。

 

 

総合評価・星2つ(500円の価値無)

★★☆☆☆

 

以上