ワンコイン・ムービ-レビュー

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肉喰怪獣キラーツリー

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あらすじ

農林水産省からドーピングを受けたキー坊がダークサイドへ堕ちる」

 

 木こりが国有林からモミの木を密漁した。しかしなんとそのモミの木は政府が遺伝子操作した殺人木だったのだという中々ブッ飛んだ物語である。なお殺人木の品質は察して頂きたいレベルである。足が生えたモミの木が目を光らせてキーキーいっているだけ、モリゾーと同レベルの威圧感である。

 

 戦いを挑むメガネのレンジャー隊長は、過去に殺人木と戦ったことがある設定である。彼はその経験から心に傷を負い、オネショの常習犯としてダブルベッドにダムを建設して女房にガチ切れされたあげく、女房の元カレからもディスられるという哀れ極まるオッサンである。なお元カレの名前はドギー・スタイルズ。天然なのかわざとなのかは不明だが、自分の名前が後背位複数形であったなら私は相当のショックを受けるだろう。

 

 殺人木により市民や観光客が次々と犠牲になっていく。襲撃シーンはフラッシュと共に悲鳴が連続するというこの手の映画が得意とする単調な伝統技能であり、殺人木の低品質と相まって悲惨な恐怖感を演出してくれる。

 

 そこに休暇でやってきた学者が殺人木の脅威を訴える。隊長もそれに加勢する。しかしながらその説得力は皆無である。彼らの主張は「殺された死体の近くにモミの木のトゲが落ちてた!したがってモミの木が犯人や!」「被害者が最後に取った写真にはモミの木が写っていた!だからモミの木が犯人や!」といったものである。

 

 本作の舞台はスキー場を抱えるような山中の街である。木に囲まれていることは自明、ならば上記の発言が皆から信頼されることは言うまでもないだろう。学者は理性をもって、隊長は実地経験をもって尊敬されるべきだと思うが、彼らがそれを発揮した形跡はゼロである。

 

 被害は広がり続ける。木こり密漁者のオッサンたちは「目にはチェーンソーを!尻にはダイナマイトを!」とわけのわからん格言を残して戦列歩兵と化し、モミの木と対決して無事玉砕した。隊長もトラウマを発動させ、児童の演劇会の舞台に置いてあったクリスマスツリーに向かって叫びながら殴りかかり、一同をドン引きさせる大活躍を見せる。

 

 「奴らは高音に反応するからそれでおびき寄せて塩素で倒そう」と学者が論理を展開し、作戦は実行に移される。ピックアップトラックの荷台に乗ったオッサンたちがクリスマスの鈴をチリンチリンと顔を真っ赤にしながら鳴らして殺人木をおびき寄せるシーン。まさに迫力満点。口をふさぐ暇がない愚劣な光景である。

 

 塩素をぶっかけてクリアや!と思っていたら殺人木は第二形態へと進化する。その姿は形容しづらいが、なんかハッピーセットのおまけみたいな感じである。これに対して学者はいきなり「小さな努力の積み重ねが結果を生む!」と叫びながら発光する。言ってることは正論だが何故このタイミングでほざきだすのか。彼のこの行動は殺人木に何の影響も与えることは無く、彼は樹液攻撃を受け行動不能になる。

 

 ラストは隊長がスキー場の電気を殺人木に叩き込んで倒し大勝利、かと思いきや謎の一味が樹液で固まったバカ学者を運び去り、隊長たちはそれを追跡、To be concludeの文字が流れる。こんなもんの続編作って幸せになる人類が存在するのか甚だ疑問ではあるが需要はどこかにあるのだろう。市場経済とは不思議である。

 

 恐ろしいスローテンポ、棒読み俳優陣、単調なカメラワーク、個性無き脇役、本作はホラーとして絶望的なガダルカナル島である。しかし一周まわってアリという感覚だろうか、本作はもうコメディとして鑑賞すれば、いや、するしか方法は無い。コメディとしてなら本作は優秀と言えるかもしれない。この感想を書きながらこの映画がバグっているのかそれとも私がバグっているのかわからなくなってきたが、もう考える力は残っていない。

 

 

総合評価・星5つ(Ce n’est pas Dieu possible)

★★★★★

 

以上