ワンコイン・ムービ-レビュー

ワゴンセール等で500円程度で投げ売りされている映画を愛するブログ

デビルシャーク

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あらすじ

「サメとエクソシストがろくに戦わない」

 

 開幕早々、修道女のオバハンが空に吼える。「世界なんてクソや」とわめきちらした彼女は自分がクソである可能性を忘却の彼方へ置き去り、通りがかりのオバハンを刺殺する。「オバハンの霊を生贄に、サメの悪霊を召喚!」、彼女の一人遊戯王の結果、サメの悪霊が現れる。

 

 これに対して立ち上がった神父のオッサンは、取りつかれた市民の身代わりになってゲロをぶっかけられた後無事即死した。彼の活躍は以上である。ラストは冒頭の修道女が再登場して人を刺してエンドロールである。

 

 大々的にエクソシストの活躍を喧伝しておきながら、エクソシストが映画の中心にいないというのはなかなか斬新な構成ではないだろうか。ゲロをぶっかけられるだけ?それならエクソシストの必要がない。居酒屋のアルバイトで十分だろう。

 

 エクソシストと対峙関係にあるサメについても存在感は絶望的である。エクソシストもサメもだめ?じゃあ本作には何があるの?71分もの長尺を塗りつぶすべく用意されたもの、それは散発的なモブである。

 

 モブキャラがなんかしょうもないことやってるとそのうちサメがきてうぎゃー。この手の映像が断続的に挿入される。もちろん彼ら彼女らは本筋に何のかかわりもない。デブがランニングして海にゲロを吐くブリリアントなシーンや、デブが水着を着て湖にビビりまくるフェティッシュなシーンが見ている者の神経を剪定していく。

 

 サメと関係なくモブがバグるシーンもいい仕事してますねぇ。「妹の霊よ、我が交霊術により現れたまえグァァァァァ!」と叫び、地面をのたうち回る黒人のデブや、「土地の霊よ!私に憑依しその声を届けたまえグァァァァァ!」と叫び、地面をのたうち回る白人のデブは立派な量産型大川隆法だ。

 

 せっかくだからサメの魅力についてもう少し頑張って書いてみよう。サメの存在感が絶望的であると先に書いたが、それはサメの低品質CGに由来するものではない。そもそもこの手の映画でCGがショボいなどということは当たり前のことであり批判になっていない。では一体何がサメを絶望に突き落としたのか?それはシチュエーションである。

 

 「サメのCGが映る。モブが浅瀬で溺れたふりをする。血のりを流す。以上。」これが襲撃シーンのパターンである。一番の問題はそう、浅瀬である。成人が立てばひざ上ぐらいの高さしかない浅瀬で「オーマイガー」とか言われても困るのだ。想像してほしい、市民プールの子ども用プールで大人たちが「ホーリーシット」とか叫びながら死体ごっこしている姿を…。

 

 戦力と呼ぶことのできない連中が散発的に突撃をしかけてくるという意味では、本作は末期旧日本軍的映画と言えるだろう。その質は末期にふさわしい99式歩兵銃である。

 

 

総合評価・星1つ(神が憐れむレベル)

★☆☆☆☆

 

以上